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「白い鐘」について 市川ヂュン
市川ヂュン個展ー境界線のまたぎ方 開催
2016年12月29日、31日、2017年1月1日、7日、8日、9日、14日、15日の計8日間
拝借景での個展「境界線のまたぎ方」も残り14(土)、15(日)で、終了となります。
まだまだ見に来ていない人がいると思いますが来てくださいね!
今回の個展では、新作は2点で梵鐘と鏡をモチーフにしています。
展覧会の終わりを前に、新作について記しておこうと思います。
興味がある人は会場に来て実際に見てください!
来てくださいね。
私は大学卒業後今現在に至るまで拝借景という場所を拠点に活動してきました。
その活動を通して気づいた課題や問題点を、住宅地に立地する拝借景という場所を前提に「境界線」「貧乏」をキーワードに再解釈を試みました。
「白い鐘」について
拝借景は芸術家のたまり場を起源としています。そこで開かれた数多くの飲み会で交わされた会話の中から拝借景は生まれ、その生態は現在に至るまで拝借景の根幹となっています。
飲み会で消費された酒は9年間で15000缶。この作品はそれと同数のアルミ缶を溶かすことで得られた200kgのアルミニウムによって作られているのです。
実際には私たちが消費した空き缶に加え、ホームレスのように集めた空き缶も含まれています。
飲み会の残滓の空き缶から神聖な梵鐘を作ることは、取手の何の変哲もない戦後の住宅フォーマットである文化住宅に価値を見出した私たちの活動と重なります。
鐘は拝借景の生態と歴史を背負っています。
2016年12月31日大晦日、この鐘は除夜の鐘として私たちに108回打ち鳴らされました。
その音は近隣住宅にも響き住民たちの耳にも届くことになりました。
拝借景は芸術のための私的空間です。その外側には公共空間や別の誰かの私的空間があります。
住宅地での芸術活動は他の住人の生活と隣り合わせのため彼らに(見たいわけではないのに)「見えてしまう」状況が生まれます。
拝借景での私たちの表現活動にはその状況への配慮が課されています。
そこには公と私、日常と非日常、生活と芸術といった領域を分ける境界線があり、こちら側とあちら側ではルールが違うためです。
しかし年に一度大晦日の夜、日常と非日常の境界線は曖昧になり、除夜の鐘という年の瀬の風物詩を借りることで、鐘の音は騒音から一年の終わりを告げる鐘の音に変化します。
これは住宅地の中の異物である拝借景という存在を前提にした試みです。
さて、鐘も鏡の作品も神仏的なモチーフをもとに制作していますが、そのきっかけになった風景があるので触れておきます。写真参照。
一昨年いわき市のある浜で見た風景ですが、津波の被害にあった場所を大規模に造成している中に小さな神社がひとつ取り残されていたのです。
人に聞いたところ、奇跡的に津波に流されなかった神社を保存しているとのこと。
それを知り神仏は津波という自然の力に耐え、その後の再開発という人間の力にも耐える存在である、むしろ積極的に守られることに自分はえらく感動したのです。
今回、鐘を制作するにあたって造形的には奇をてらわず伝統的な鐘の様式を守ったのは、現代美術的なコンテクストが失われた後(100年後とか)に、この作品が神仏的なものとして受容されると、ものの価値付けがが変わりより大切に扱われることによって寿命が飛躍的に伸びるのでは、と考えたから。
鏡の作品については明日にでも書きます。
芸術家 市川ヂュン