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ども、高倉です。
以前告知した「コンテンポラリーベイルート」無事にスタートしました。慣れ親しんだ街で、自分がいないのに作品が展示されていること、また今回は私だけでなく拝借景として出品できていること。なんだか不思議な感覚です。
そんな中ですが、早速展覧会をレバノン全国紙デイリースターに取り上げていただきました。
http://m.dailystar.com.lb/Culture/Art/2014/May-23/257449-beirut-gets-new-art-fair-and-a-dose-of-deja-vu.ashx
フランス語圏のメディア ”L'Orient-Le Jour”にも取り上げられました。
http://www.lorientlejour.com/article/868537/art-contemporain-global-a-lartheum.html
〜一部抜粋〜 デイリースターより
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中東、北アフリカ、南アジアに注目したアートフェアが2010年よりレバノン首都、ベイルートにてはじまり絵画、彫刻、写真と様々な媒体を扱い人気を集めている。
2012年より開催している「The Beirut Photo Fair 」もその1つ。通例に従えば今年三度目となる予定だったが会場となる「ARTHEUM-アーセウム」代表Nino AZZI は今年現代美術の市場拡大へ向けた新たな挑戦を始めた。それは水曜日よりはじまった「The Contemporary Beirut Global Art Fair」レバノン、シリア、ドイツ、中国、日本、タンザニア、セネガル全七カ国よりアート作品を集めた大型アートフェアである。
コレクターにとっては既視感を与えるアーティストの作品もある。過去にベイルートで展覧会を開催したアーティストの作品も多く並んでいるからだ。しかし同時にレバノンでの展覧会が初となる評価の高いアーティストの作品も多数出品、展示している。これらは今後さらなる発展が期待され、レバノンへ新しい新鮮な風を吹き込むフェアとなっている。
ーーーー英訳 Takakura Yoshinori
そして記事内では拝借景より出品しているアーティスト下西進さんの写真作品が独特な手法と共にMohamad Khayata(シリア人)、Audree Ani(レバノン人)と並び取り上げられています。
〜一部抜粋〜 L'Orient-Le Jourより
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「レバノンのアートシーンに、ダイナミックな息吹をもう一度注入するため」、ニノ•アッジが主宰するアルテウムのチームは、コルニッシュ•デュ•フルーヴの広大なスペースで、第一回目のコンテンポラリー•ベイルート•グローバル•アート•フェア企画することを決意した。
こうして1,000平方メートルというスペースに、フランス、ドイツ、アメリカ、日本、インドネシア、中国、イラン、アフリカ、アルメニア、ヨルダン、レバノン、シリアから選ばれた美しい作品が展示されている。
「レバノンの作家を紹介することと同時に、国際的な作家を紹介することも目的です。 大物作家だけでなく、また若い才能も。」とアッジ氏は言う。今回は、ギャラリーの普及よりも、むしろ作家の普及という方に重きが置かれている。…
例えば日本の作家(山本 努、松浦 春菜、そして松下 徹など)は、超細密かつ深く考察され、洗練され、きちんと秩序立てられ、さらにはしばしば‘自然’に結び付くような作品を見せてくれていることが分かる。
ーーーー仏訳 Yamabana Nami
早いものでここでの生活も四ヶ月が過ぎようとしています。高倉です。
刺激に溢れた日々の中で、日常という感覚を掴みはじめた今日この頃。
僕の家からアトリエはベイルートを東西に横断する形になるので、ちょうど
町並みやその土地に住む人々の変化を確かめることができます。
大使公邸にお呼ばれしたり、気の合う友達とわいわいしたり。
賑やかな時間を快くすごしています。
とはいえ街を歩けば物乞いやホームレスが日に日に増えていることを
実感する毎日。世界情勢の生み出すゆがみがひしひしと伝わります。
車に仕掛けられた爆弾が爆発しても、数時間後には子ども連れの親子
が周辺を闊歩します。
この国が内包するダイナミズムに感嘆。
三月のたかくらくんいってらっしゃい旅行からはや二ヶ月、高倉です。
私はレバノン共和国にいます。
ふと思い立って近況報告をするものの、何から話せば良いことやら。
この国は人口422万人、イスラム教信者6割キリスト教信者4割。宗教に伴い居住区もわかれています。1975年にはじまった内戦時に東西を隔てていた境界地域では今も倒壊した建造物をいたるところで確認できます。
そんな背景を持つこの国の抱える混沌と平穏が織りなす絶妙なバランスは、その新鮮な輝きを失うことはありません。
しかし常に隣国の発信するニュースに気を配り、その中で制作していくことが日常となる毎日。この国の作家の作る作品にはナショナリズムの現れとして必然的に戦争が組み込まれていることを強く感じる毎日です。
反面、美味しい食べ物とお酒に囲まれて夜の街は遅くまで眠ることはありません。